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検索 画像一覧 | 5月18日(土) 旧暦4月11日 国立の里山、谷保をあるく。 麦畑で麦穂をつんで、それを口へはこんだりして麦秋の季節をたのしんだ。 日差しは夏の日刺しであったが、 風はまさに薫風だった。 # by fragie777 | 2024-05-18 19:56 | Comments(0) 5月17日(金) 旧暦4月10日 まるで海のような草原。 飛び込みたい感じ。 鴉が溺れている。 ふうっー。 ってわたしは深いため息をついた。。。 というのは、仕事上でも個人的にも、いろんなことがありすぎて、 疲れてしまったのだ。 たとえて見れば、回転木馬の馬に乗らないで、回転方向とは真逆に一日中はしりつづけている、 そんな感じ。。。 そんなたとえってあるか!? って。 要するに、仕事につかれたけど、まあ、それなりに頑張った。。達成感もある。 じゃ、いっぱいやるかって、っていう心地よい疲れではなく、 追い立てられているような切迫感の中で中途半端のまま、うろたえている。そんな疲れ、、、かな。 いやでしょ、 そんな疲れは、 ただ、yamaokaはきわめて楽天的な人間なので(鈍感ともいう)、この休日ですこしこころに休息という栄養をあたえてやれば、すぐに立ち直ると思う。 ということで、(理由になってないけど。。) 今日はスタッフたちに仙川にあるドーナッツ屋さんのドーナッツをおごった。 べらぼうに美味いドーナッツ屋さんである。 実は今日おごったドーナッツは写真にのっていないヤツ、しかし、とびきり美味しいドーナッツ。 コーヒーホワイトチョコドーナッツ。 スタッフたちもこれが大好き。 仙川にいらしたら、一度是非おためしあれ。 ただし、人気店で売り切れてしまうことも多々。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんの「四季」は、丹羽真一著『古舘曹人の百句』より。 砂掃いてきてゆりの木の花の下 古舘曹人 「百合の木は丈高い美しい木」「夏の初め、柔らかな若葉の中に黄緑の花を咲かせる」と長谷川櫂さん。 そう、百合の木美しい。 神代植物園には大きな百合の木が数本ある。 百合の木の花 あまりにも高木なので、冬の裸木はコワイほどだ。。。 わたしはいつも上を見ないで足早にとおり過ぎる。 5月も半ばをすぎてしまった。。。 皆さま、よき週末を。 わたしもこころに栄養を。。。 これからスタッフといっぱい飲んでかえります。 悪酔いは避けたい。。。。 # by fragie777 | 2024-05-17 18:57 | Comments(0) 5月16日(木) 旧暦4月9日 神代植物園の薔薇。 薔薇園のはしっこに咲いていた薔薇である。 こちらも。 薔薇園には、あまりにもたくさんの薔薇が咲いていて、近づきがたい。。。。(薔薇園ってそういうものよね) 昼間、仙川をあるいていたら、向こうからやって来た友人が、「あなた、いったいなにをまたやったの?!」と聞く。 すでにわたしは昨日のオオボケのこと、忘れ去っていたのであるが、 ふたたび、悪夢のように思い出してしまったのだ。 「ああ! あのこと!! ほんともうなんと言ったらいいか、自分がいやになるわ」と言うと、 「本当にあなたという人は!!」と呆れられる。 しかし、フフフッってお互い笑いあって、 「ジャね」と言って別れる。 すべてがこんな風に笑い合って、許しあって、生きていけたらいいんだけど。。。 今日はお一人お客さまがご来社。 俳人の藤井あかりさん。 第2句集の句稿をすでにいただいており、打ち合わせにいらっしゃったのだ。 数日前だったろうか、担当のPさんは、藤井あかりさんの句稿を拝見しながら、 「うん! いいわあ!」とか、「好きだなー」とか叫ぶので、おもわず仕事の手をとめてそちらを見てしまう。 すでに師にあたる石田郷子さんの句稿もいただいており、やはりPさんが心して粛々とおすすめしている。 おふたりの句稿を拝見すると、そこはかとなく師と弟子との心の通い合いが句にひそんでいて、それがとても素敵だ。 「この句に対して、郷子先生がこんな句を作られて……」と吟行をともにしながらのことなどを話してくださった藤井あかりさんである。 石田郷子さんは、前句集『草の王』につぐ第4句集。 藤井あかりさんは、前句集『封緘』につぐ第2句集。 どちらも9年ぶりの新句集となる。 師と弟子といえども、まったく句柄のちがうおふたり、 わたしはいまからドキドキしながら、おふたりの句集の出来上がりを楽しみにしている。 反省しきりのyamaokaは、テイラー・スイウィフトのややハスキーにして低めの声にいやされています。 # by fragie777 | 2024-05-16 19:39 | Comments(0) 5月15日(水) 竹笋生(ちくかんしょうず) 京都葵祭 旧暦4月8日 仙川の翡翠(♂) いやはや自分にあきれ果てるエライコッチャの一日であったが、詳細は語らないでおこう。 それが賢明である。 (また、とんちきなyamaokaがなにかやらかしたんだなって、思っていただきたい) 天下国家にかかわることではないので、ご安心くださいませ。 (わたしが髪の毛をかきむしるのみ…) ということで、新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯あり 196頁 二句組 著者の櫻井俊治(さくらい・しゅんじ)さんは、昭和23年(1948)京都生まれ、平成24年(2012)俳誌「山茶花」に入会し、現在は「山茶花」同人。俳人協会会員。本句集は、平成25年(2013)より、令和4年(2022)までの作品を収録した第1句集であり、三村純也主宰が序文をよせている。 序文を抜粋して紹介したい。 櫻井俊治さんが「山茶花」に入会されたきっかけは、私がNHK俳句の選者として出演していたのをご覧になっていたことであるらしい。その後、箕面の滝へ吟行した時が初対面だったのは、私の記憶にもある。男性の新入会というのは、女性に比べると少ないので印象に残ったのであろうか。(略) 玄関にゴルフバッグと君子蘭 飽きてきて矢継ぎ早なる石鹸玉 道普請照らすライトに火取虫 近道の筈が一面青芒 サーファーの聖地の浜の桜貝 (略)人の営みを詠むために季題を斡旋してきたと言うのではなく、まず季題を捉え、それを案じているうちに、発想が人の動きへと飛躍したと見るべきものであり、この発想に俊治さん独自の個性の萌芽がある。例えば、最後の桜貝の句、この季題を詠むのは、大抵、それを拾う動作、どこで拾ったか、あるいは、そういう想い出を回顧しての作が多い。この句も桜貝を拾った場所、見たところを詠んではいるのだが、それが甘い感傷に流れてはいないところに注目すべきであろう。サーファーが聖地としている浜は、大波が寄せるところであろう。そんな海岸に桜貝は少ないのかもしれないし、サーファーはそんな小さな貝殻に関心がないかもしれない。が、そこに桜貝を点じてきたことによって、景色に意外な展開が感じられるだろう。大波によって深い海から打ち寄せられた小さな美しい貝と、その大波に挑み続ける若者の対比によって、硬質な叙情が汲み取れるのである。 本句集の略歴に、「平成25年 42年間の会社生活を終える」とあり、本句集の作品が平成24年からのものを収録していることをおもうと、ほぼ、定年退職をされてからの作品であることがわかる。「あとがき」に俳句を本格的につくろとおもったころのことを書かれているので紹介をしておきたい。 会社勤めが一段落した平成二十四年(二〇一二年)、俳句結社「山茶花(三村純也主宰)」に入会しました。三村純也先生は前年までの三年間「NHK俳句」の選者をされており、私は欠かさず見ていました。先生の俳句に対する深い造詣と端正な語り口に惹かれ、結社に入るなら「山茶花」にしようと決めました。生まれて初めて句会に出席したときはとても緊張しましたが、俳句が座の文芸であることを体感し、それまで一人で投句していたときとは全く異なる俳句世界に飛び込んだことを実感しました。 また、「山茶花」の句会とは別に、芦屋市の虚子記念文学館にて純也先生が講師をされていた俳句教室にも二年間通いました。少人数の生徒を対象に、作っていったすべての句一句一句に先生が懇切丁寧に選評をしてくださるという講座で、私にとってはこの上ない勉強の場になりました。 良き師と出会うことも俳句をつくることで大事なことである。そういう意味で櫻井俊治さんは、よき出会いをされたのだと思う。 本句集の担当は文己さん。 御降の庭木を少し濡らすほど 銀行へ外して入るサングラス 乗初や富士山頂を下に見て 日当れば蝌蚪より黒き蝌蚪の影 日当れば蝌蚪より黒き蝌蚪の影 きっと動き回る蝌蚪をじいっと見ておられたんだと思う。最初は日も差さずやや暗い水のほとりに立って、蝌蚪たちを見ていたのだろう。蝌蚪はもうしぶんなく黒い身体をしている。これ以上黒くはなれないと言ってよいほど。そんな蝌蚪たちがプルプルと動きまわっているのである。そこへ日が差し込んできた。すると水底の蝌蚪の影がいっそう濃くなって、なんと、今まで見ていた黒い蝌蚪よりもさらに黒さをました蝌蚪となっているではないか。そんな驚きの発見をさっと一句にしたのである。黒いと思っていた蝌蚪が日にさらされてさらにもっと黒くなる。「影」と名詞止めによって、読者の目にはその影の黒さが焼き付けられるのである。「蝌蚪」という季題を十全に語っており、誰もが頷いてしまう一句だ。 これといふ不足なき身の春愁 句集の二番目の句である。定年退職をされ、いよいよ自分の時間を豊かに使って、俳句をはじめその他の趣味を楽しみはじめられた頃の句か。仕事にあくせくする必要もなくなり、生活の不安もなく、目の前には自由な時間がたっぷりとあって、なにも不自由はないではないか。と思う自身がいる。充足している日々である。はずであるのに、この得もいえぬ愁いはいったいなにゆえか。それが春愁というものよ、と言ってしまえばそれまでだが、作者は己自身を十分に把握しているのである。客観視しながらもそんな風に呟いてしまうのである。いや、充足の身であるからこその春愁なのだ。これは人間であることの特権的愁いなのかもしれない。 勝馬のすぐには冷めぬ滾かな 作者が自選句にあげておられる一句である。季語は「競べ馬」。競争をおえた馬を見ての一句か。一番となった勝馬である。馬自身も興奮している、己が一番であることを知っている馬である。その勝利の興奮はそうそう冷めやしない。この句、「滾かな」の「滾(たぎり)」がこの一句の要である。「滾」の一字によって勝利馬の栄光を物化しそこにすべてを集約した。かがやかしい「滾」だ。馬の美しい肉体から汗や蒸気やそれいじょうの何かがあふれ立ちのぼっているのが見えるようだ。 利休忌や淡き交はり旨として 句集名となった一句である。「私にとって淡交は自我に目覚めた以降いつしか身についた処世訓のようなものです。人との交わりには適度な距離感が大切だと思います。」と「あとがき」にある。〈庭訓は淡き交はり水の秋〉という句もあるように、櫻井俊治さんにとって人間関係における大事な交際メソッドなのである。わたしが驚いたのは、「自我に目覚めた以降」とあり、なんとも早熟でいらっしゃったのでは、と。「淡交」というこの交際の在り方にたどりつくには、いくつもの人間関係の失敗の果てに習得するものか、などと思っていたのだが、いや、そうではなく、ものを考える人はすでに自我にめざめるころより「淡交」の思いがあるのだ、それに驚く。「利休忌」の季語は、秀吉と利休の交際(?)の在り方の反省としての「利休忌」なのか、あるいは利休のことを思いつつ、詠んだ一句か。 山下る荷駄に一枝の花茨 簡潔な一句である。しかし、はたらく人間や馬などの姿が彷彿とされる。質朴な風景であるが、そこにそえられた「一枝の花茨」がいい。人のこころのはからいと余情、そのようなものが「花茨」に集約されている。あでやかな花ではなく、働くところに野の花として咲いていた花茨だ。労働は殺伐たるものがあったかもしれない。しかし、ともに下る一枝の花茨の揺れが、今日一日の汗水を流してくれ、山をくだる足取りもこころなし軽くしてくれるような気がする。「荷駄」という語句が多くをかたり効果的である。好きな一句だ。 校正スタッフの幸香さんは、「〈翡翠のその一瞬を構へ待つ〉に特に惹かれました」と。 おなじく校正スタッフのみおさんは「〈絵踏せし膝の震へのおさまらず〉の句にとても惹かれました。こちらも震えてしまいそうなほどの緊迫感です。」と。 俳句は四季の移ろいや、その時々に自分の感じたことや思いを季語の力を借り綴る、世界でも類のない短詩型表現手段です。自分の言いたかったことが上手く言い得た時の爽快感がたまらない魅力です。これからも句座を大切にし、自分らしい俳句を一句でも多く作れるよう励んでまいりたいと思います。 「あとがき」より抜粋して紹介した。 装釘は君嶋真理子さん。 櫻井俊治さんには、装釘について強いご希望があった。 色や配置などもご要望があり、シンプルなものをということであった。 タイトルの「淡交」は、銀のツヤ有り箔。 表紙の布クロスは、濃いみどり。 見返し。 花布は、緑と白のツートンカラー。 栞紐はグレー。 上の葉は少し小さめ椿餅 スタートを待つ風花のジャンプ台 前句は発見して捉えたものを読者の前に投げ出して椿餅の質感を感じさせ、後句は描き取ったものを提出して、その背後に横たわるものを読者に想像させるという手法を取っているのである。俳句という特殊な文芸固有の手法を生かしきっていると言えるだろう。 (三村純也/序) 櫻井俊治さんに、ご上梓後のお気持ちをうかがった。 準備を始めて完成までの1年余りを振り返ってみると、漸くできあがったなあという感じで、これで肩の荷がおりました。 この歳にして句集というわが生涯の宝物を得られたことはこの上ない大きな喜びです。 発刊に際しお世話になりましたすべての皆様に対して感謝の気持ちでいっぱいです。 心より厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。 そして、メールにいただいた感想なども送ってくださった。 ・淡交にふさわしい装丁に感心しました ・装丁からして上品で見事です ・装丁の細部まで一貫する上質感に感じ入りました ・装丁も上品で良いですね ・重厚な装丁の立派な書籍に驚きました ・本の書名、構成、装丁にも著者のセンスの良さが活かされて、素敵な本になっています ・装丁もきれいで一気に拝読しました 小生自身も今回の装幀を含むふらんす堂様の本づくりについて大変満足しております。、装幀をご担当いただきました君嶋真理子様にもよろしくお伝えください。 櫻井俊治さま 第1句集のご上梓、おめでとうございます。 第2句集へむけて、さらなるご健吟をお祈りもうしあげております。 翡翠のその一瞬を構へ待つ 櫻井俊治 本日、「第15回田中裕明賞」のホームページが整いました。 冊子は「第15回田中裕明賞」はもうすこしお待ちくださいませ。 # by fragie777 | 2024-05-15 20:39 | Comments(0) 5月14日(水) 旧暦4月7日 神代植物園に咲いていた牡丹。 絵にかいたような鮮やかな色彩。 ちょっとつくりものめいているような。 すごい迫力。。。 牡丹園にはそれはたくさんの牡丹が「湯のやうに揺れ」て咲いていた。 うれしいお知らせがひとつ。 阪西敦子さんの句集『金魚』が、第2回稲畑汀子奨励賞を「俳句部門」にて受賞。 阪西敦子さま。 おめでとうございます! こころよりお祝いをもうしあげます。 多くの方が待たれていた句集であり、多くの方がこの受賞を喜ばれていることだろう。 6月9日に法曹会館にて、授賞式が行われるということである。 スタッフのPさんがうかがって、取材をする予定である。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、岡田一実著『篠原梵の百句』より。 ドアにわれ青葉と映り廻りけり 篠原 梵 岡田さんは「廻りけり」に注目し、「コントロールの及ばないまま〈われ〉が連れていかれるような、仄かな不穏さも読者に感じさせる。都会的でモダンな表現である」と鑑賞している。賛成だ。と坪内稔典さん。 5月19日(日)よりおこなわれる「文学フリマ東京」で、岡田一実さんは、『篠原梵の百句』を出品されるということだ。 興味のある方はぜひに行って、本著を手にしてほしいとおもう。 →「文学フリマ東京」 ひきつづき、9月8日(日)の「文学フリマ大阪」にも出品される予定である。 いまスタッフとおしゃべりをしていたのだが、あるスタッフは、洗濯物を洗って干すことはするのだが、 それを取り込むのが、嫌なんだそうだ。 取り込まないで、(明日は雨にならない)と念じて、そのまま干しっぱなしにするんだそうである。 ひどいときは2.3日。いやもっと。 ええっー!!信じられない、と叫んだのはyamaoka. また、べつのあるスタッフは、洗濯物はすぐに取り込むのだが、それをすぐには畳まず、「きれいなもの」として数日放置しておくんだそうである。 それも信じられない!、と叫んだのはyamaokaである。 ほんと信じられない人たち。 で、 yamaokaはというと、 洗濯物をとりこむのなんてすぐにやる。取り込んだらすぐに畳む。 しかし、 で、 ある。 あまり洗濯というものをしないのである。 ためることはへいちゃら。 人に洗濯をやってもらうことは厭わない。 畳んでもらうことも。 あなたはどのタイプ? すてきな南部鉄瓶。 岩手を郷里にもつスタッフのお母さまがつかっていたものを、スタッフのPさんが譲り受けたのである。 さっそくお湯をわかして白湯にして飲んでいるという。 鉄分が豊富にとれて、鉄瓶の湯は身体にいいらしい。 「こんどその鉄敏でわかしたお湯をもってきて飲ませて」とわたしはPさんに頼んだのだった。 # by fragie777 | 2024-05-14 19:01 | Comments(0) |
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